海をわたってきた伊豆半島

 伊豆半島はその昔、熱帯地域の南海に位置する非常に浅い海底火山であり、太平洋の海底の動きとともに2、300万年前に日本にたどり着き、本州にぶつかって今のような半島になったのではないかといわれています。
 太平洋の海底は、日本海溝のところで沈み込むのですが、伊豆半島はあまりにも大きく、また火山がとても多くて、沈み込めなかったのではないかと見られています。
 この伊豆半島を流れる狩野川は、流域の人々の生活や、風土・文化の形成に密接にかかわってきました。
 古来より沿岸の物資輸送などに重要な役割を果たし、今ではその豊富で清らかな流れによって山葵栽培が盛んであると同時に、鮎やヤマメが生息する豊かな自然と温泉群で知られる、風光明媚な景勝地として親しまれています。
 また、多くの史跡群や文学碑など、歴史とロマンにあふれる観光地でもあります。

6000年の川の流れが田方平野を誕生させた

 氷河時代、狩野川は今の田方平野に深い谷を作って流れていました。(左上)

 その後、次第に気温が上がり、比例して海面が上昇、約9000年前に富士山から溶岩が流れ出て、今の黄瀬川の下流まで達しました。さらに気温は上がりつづけ、約6000年前には沼津から狩野川平野まで、海に没しました。(左右)


 さらに時がたち2000年ほど前に富士山が噴火。流れ出た火山噴出物によって三島扇状地が形成され、古狩野湾の一部が陸になりました。(左下)


 この間、狩野川は流れ続けていましたが、古狩野湾のため、下流の駿河湾まで土砂を運ぶことが出来ず、古狩野湾の埋め立てが進み、現在のような低地に変わっていきました。(右下) 
 
 

天城山系も火山地帯

 天城山系を含む狩野川流域は火山地帯です。
 第3紀から第4紀にかけて噴出した富士山や天城山、達磨山などは沖積世以前に形成され、その後、沈降したと見られる静浦産地などの火山からなり、その地質のほとんどは火山岩及び火成砕屑岩です。