洪水と狩野川

 約1000年前、狩野川は大仁・韮山町のあたりで現在よりも東側を流れていたようです。伊豆長岡町付近の扇状地では、網目状に旧河川が分布しており、洪水のたびに流路が変わったことがわかります。
 その後、時代の経過とともに流れは次第に西側に移っていったのでしょう。鎌倉時代と伝えられる守山開削により、流路は守山の西に移され、現在の流れに近づきました。
 また、田方平野を過ぎると流路はあまり変化していないようです。これは、火山山麓扇状地と静浦山地にはさまれているためです。

町内の洪水記録

 狩野川洪水の歴史は町発展の歴史といえます。町災害誌で調べてみました。
 亥の満水 1671年8月27日 町内大洪水
 大洪水  1692年から昭和33年にいたるまで 30件

 狩野川台風 1958年9月26日
 750ミリにも達する未曽有の大災害、町内の水田流出448町歩、山林の崩れ760箇所、いたるところで道路が決壊、橋も8箇所流出。死者5名、行方不明4名、重傷5名。伊豆全体では1000人以上の人命が奪われました。