国の重要文化財

天城山隧道

 
 明治33年に着工し、38年に開通した旧天城トンネルは、昭和45年に新トンネルが完成するまでの間、伊豆の南北を結ぶ重要な役割を果たして来ました。
 このトンネルは、川端康成の「伊豆の踊子」、井上靖の「しろばんば」、松本清張の「天城越え」など、超一流の文学作品にも度々登場したことでも知られています。
 現在、周辺に遊歩道が整備され、交通の主役は新トンネルに譲っても、文学・歴史の道として、多くの人々が訪れています。  

隧道としてすごい訳

 天城山の標高708メートルに位置するこのトンネルは、全長445.5メートル、幅員4.1メートル、有効高さ3.1メートルで、完成から100年近く経った今でも見る人に郷愁を感じさせています。
 隧道内壁と坑門はすべて「石巻」と呼ばれる切石を積み上げる工法で造られており、石材加工に発揮された精巧な技術が認められ、このたびの文化審議会で、新たに国の重要文化財に指定されることになりました。道路隧道が、単体で指定を受けるのは全国ではじめてであり、明治時代後期を代表する石造りの隧道として、高い評価を受けました。
 天城山隋道(旧天城トンネル)は、伊豆の交通史上重要な役割を担ってきただけでなく、石職人たちが技術の総力を結集して造り上げた完成度の高い構造物としての価値が認められたものです。伊豆半島を南北に分ける象徴的な天城峠にあって、周囲の豊かな森や自然と融合した存在は、「伊豆の踊子」などの名作を生み出し、今なお多くの旅人の旅情を誘っています。
   

古くは近くに、氷の貯蔵庫も

 天城峠は南北に狩野川・河津川の水源をかかえています。
 特に、峠の北側は、狩野川の発祥地点で、「水生地」の地名を持ち、古くは近くに「氷室(ひむろ)」と呼ばれる製氷池や氷の貯蔵庫があり、氷が盛んに造られていました。
 現在では、製氷池が復元され、天城路を訪れる人の憩いの場となっています。
 文学作品等では、天城隧道を「天城峠」と呼ぶ場合もあり、呼称上のこだわりは特にありませんが、本来の天城峠はトンネルの上方移動距離500メートル、標高差132mのところにあります。ここは、天城縦走・伊豆山稜線歩道の起点でもあります。