安藤藤右衛門翁の略年譜
      1849年(嘉永2)  狩野郷湯ケ島村に生まれる。
      1880年(明治13) 「湯本館」を創設し、湯ケ島温泉の礎を築いた。
      1906年(明治39) 浄連の滝への降下道を独力で開削。
      1914年(大正3)  逝去。享年65歳。
      1930年(昭和5)  昭和天皇行幸、開削道利用。

 安藤藤右衛門翁は、嘉永2年(1849)に伊豆の国狩野郷湯ケ島村(天城湯ケ島町)に生まれ、温泉熱による椎茸促成栽培なども手がける農家に育ちました。
 明治13年旅館「湯本館」を創設し、湯ケ島温泉の基を築きました。
 同館に滞在し酒友でもあった若山牧水は、ここで中期の傑作歌集を残しています。
 また、後のノーベル賞作家川端康成も、若き日に同館を我が家同様にしていました。
 明治39年、浄連の滝下降道を独力で開き、滝壷への往来を可能にしました。この結果、昭和5年昭和天皇の行幸を仰ぐことになりました。
 また、下田街道(国道414号)筋から谷を降り、共同浴場につながる通称「湯道」も独力で開き、これらを徳として湯ケ島財産区は西平橋のふもとに顕彰碑を建立しまし      た。
 碑文は遠縁にあたる井上靖の父隼雄の手によるもの。また、浄連の滝の駐車場脇に懐徳碑が建てられています。
 彼は、私利を顧みずに公益につくし、大正13年(1914)64歳の生涯を閉じました。