わさびの祖

板垣勘四郎翁

わさびの祖の記念碑 わさびづくりの様子
 花子  ねえねえ、堀江のおじさん、板垣さんって、どうして天城の偉人なの?
 堀江  うーん、鋭い質問だな、ちょっと待ってね。
 花子  なあんだ、本当は知らないんだ。わたし町の公式ホームページでも見て、しらべちゃおうかなーっと。
 堀江  おいおい、花ちゃん、おじさんだって知らない訳じゃないんだ。板垣さんにはいろんな活躍があるからさ、頭の中で小学生にも分かるように話をするのはどうしようかって考えていたところなんだよ。
 それじゃあね、ちょっとずるいようだけどさ、こんな風に質問してくれない。「・・・・」
 花子  それってさ、良く聞く大人の世界の「根回し」っていうの?ま、いいさ、前に方言のページで夏休みの宿題片付いちゃった事もあるしさ、でも一回だけよ。
 堀江  ありがとう花ちゃん。じゃあさ、板垣さんの本職って何だったの、どうしてわさびに出会ったの、わさび栽培でどんな苦労をしたの、の3つにしてくれる。
 花子  板垣さんってさ、わさび栽培の前に何の仕事をしていたの。もしかしてシイタケ師だったりして。
 堀江  ピンポーン。でもね、いろいろ調べると、炭焼き職人でもあったようなんだよ。
 花子  板垣さんは、なぜ「わさび」に出会ったんだい。
 堀江  今から260年くらい前になるかな、しいたけ栽培に熱心な事が三島の代官の耳に入り、静岡市の山間部にある「有東木」というところに、しいたけ栽培の先生として、行くように命じられたんだ。
 そのおり、自生していたわさびを見つけ、当時持ち出しが固く禁じられていたわさびを、苦心して持ち
帰ったんだ。
 花子  最後の質問、わさび栽培で苦労したんだって?
 堀江  天城山中で、わさび栽培地を見回っていたとき、野犬の群れに襲われ大ケガをしたり、台風でわさび田が全滅したりしたんだ。
 でもね、運良く流されなかったわさびをヒントに、わさび栽培を軌道に乗せたんだってよ。
 ここで話しきれなかった事はね、ちゃんと別のページに書いてあるからさ、ま、中学生にでもなったら見に来てごらん。
 略年譜やもっと詳しく書いた記事を見にいく。
 花子  おじさん、ありがとう。なるべく早く詳しい記事を見にいくようにします。
 堀江  いつでも、おいでよ。そうそうこんなページもあるからついでに教えておくよ。いずや、ここはおじさんとは親子ほどの年の差がある人のページだから、お兄さんと呼ぶようにしてよね。
 それから、おじさんのページには掲示板もあるからさ、何か疑問に思った事があったら、書き込んでおいてね。RESをすぐに送るようにするよ。 
ご注意  堀江は、ホームページの管理人、花子さんは架空の名前です。