ここにかつて檜の大樹があった。檜の周囲7メートル余、四方に伸び拡がった枝は空を蓋うばかりで、樹齢およそ300年と推定され、全国でも珍しいものとして天然記念物に指定されていた。 この地上7尺ぐらいの所にいつの頃よりか一本の欅が寄生木として生えた。 この大檜は、大正の末期頃、風もなきに突然枝が折れて樹命を終わったが、やどり木の欅はぐんぐん成長して、親木の檜そのままの樹形をもって年々伸び拡がってゆく。 やどり木を育てるために親木の檜が身を枯らしたもので、里人は「身代わり地藏」とも「子育地藏」とも称えて、愛児の成長を希い、また交通安全を祈願する人々の尊信ずはいよいよ篤い。 「未来社、天城の史話と伝説」より。(立岩正夫氏記) |