上船原の由来

 下船原と1村でしたが、慶長12(1607)年に分離して2村となりました。豆州志稿には「村里に上下あるとき、山村は下村が先で上村が後に開け、その高い処にあるのを上村という」としています。
 また、増訂豆州志稿に、「船原鉱泉あり、鉱泉志に云、山間礫土の間より湧出す。これを上湯と称す。その傍また一泉あり、中の湯と称す。泉質は略(ほぼ)同じ、道路やや便なりと。物産木材を出す、本村尤も多しとす。近頃開墾に意を用る者あり、諸村みなこれに同じ」とあります。