雲金の由来

 雲金の地名については、いつからということははっきりしていません。古い記録が乏しい中で、妙本寺にある薬師如来像の台座裏に「明応4年窪金」と刻んであります。明応4年は1393年で、北条早雲が小田原城を攻略した年です。
 また、文禄3(1594)年の検地帳には「豆州宝郡狩野庄雲金」と現在の字名が書かれています。文禄3年は秀吉が全国の総検地を行った年であり、明応4年から約100年後です。
 宝郡というのは、田方郡という発音の当て字だったと考えられます。窪雲の相違はありますが、雲金の地名は相当古くから使われていたものと思われます。ただ、地形上から考えて、窪(くぼ)たい山もとの土地で「久保ケ根」の意味で呼ばれていたものが、「くもがね」に変わったものであり、雲や金に意味はないものと考えられています。