持越の由来

 持越(もちこし)は、旧門野原村で、現在大字門野原から明治37(1884)年分離、一つの行政区を形成しています。当初は持越とはいえ、門野原の大字名を採用していましたが、持越番地が登場したのは、比較的新しいことです。
 豆州志稿は、町村の部、門野原村について「属理(ぞくり)持越、西一里山中に有り」といい、増訂豆州志稿はこれに加え、「元禄図、門野原村の内、持越を載す、延宝9(1681)年門野原村の内、持越新田畑改帳存せり」といっています。
 持越が大字となるいきさつは、同区に残る稟請書(りんせいしょ)に詳しく記載されています。
 持越は、門野原との位置関係から、「他村を越して持つ土地」の意味と考えられます。