下船原の由来

 慶長12(1607)年に下船原と上船原にわかれる前は1村で、北条役高帳に「豆州船原」、天正18(1590)年の豊臣氏文書(文書)に「船原郷」、文禄4(1595)年の検地帳に「船原村」とあります。
 豆州志稿に船原の地名は、両山のあいだにあって形状が舟に似ていることによって名付けたといいますが、一説に伊豆手船の船材を出した地によるとも言います。