月ケ瀬の由来

 聖神社の永正9(1512)年、享禄5(1532)年の上梁(じょうりょう)文に「槻ケ瀬村」、天文24(1555)年の上梁文、北条役高帳、文禄3(1594)年の荒間帳に「月ケ瀬(つきがせ)村」とあります。
 槻(つき)は欅(けやき)とほぼおなじで、昔はこのあたりの川岸には槻の木が多かったそうですし、本郷というところには、槻の巨木があったことにより、槻の字が村名に使われました。後に字画が多いため月の字に改められたと言います。また、ここの高根神社の御神体は槻の化石であるといいます。
 なお、字内に古代住居跡を含む月ケ瀬遺跡があり、しかも郷名をのせる字名が残っているところから、古くから開発された地域と考えられます。