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不越坂 (こいじざか)(こえじがさか)(こえじざか) の諸説
修善寺温泉の嵐山の麓を通り、小さな峠を越えて本立野へ出る道を 不越坂(こいじざか)というが、これは頼家が修善寺で殺害された とき、愛妾が逃れてやっとこの坂の上にたどりつき、ああ、今日の 道をまた越いじと泣き泣き去ったのでこのようにいっているという。 「修善寺の歴史」小林豊著
嵐山の山裾に小道がある。隣にある城山との間を越える所が 不越坂(こえじがさか)である。 かって源頼家の側室「若狭の局」が、頼家が殺されたのを知って、 泣く泣くこの小道を逃げ、「ああ、この坂は再び越えじ」と言った と伝えられている。 「伊豆中央のターミナル修善寺町」修善寺町教育委員会発行
わたしは更にかういふ傳説を思ひ出した。・・略・・ ・・坂路へさしかかった時に、わが来たあとを振返って、自分は再び この坂を越えることはあるまいと云って嘆いた。その以来、その坂の 名を不越坂(こえじざか)と呼ぶといふのである。 修禪寺物語「綺堂劇談」「創作の思ひ出」岡本綺堂
明治31年発行の修善寺の紹介文では、「不越阪(こえじざか)」と 「戀路(こひぢ)」の説もあるとか・・・略・・・。
現在、この坂の下に国道136号線「越路(こしじ)トンネル」が昭和36年に開通し 更に横に「本立野トンネル」が工事中です。
1:ホテル桂川、修善寺ハリストス正教会前の道を越路トンネル方向に進むと 右側に入る道とウォーキングの標識があります。 2:越路トンネルの上を通ります。 3:トンネルを横切ったあたりが三叉路になっています。 右へくだると4の写真の狭間バス停へ出ます。 直進すると城山神社前を通り5の東小学校の横へ出ます。 4:狭間バス停の標識横に道があります。 5:道のむこうが東小学校です。写真の左側に山田精米製麺工場があります。 6:旧道を進むと「不越ヶ坂(こえじがさか)」のバス停があります。
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