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 旧ボードは、移動しました。ここです。なお、
 郷研ボードUへ、これからも書き込みをいただけますよう、よろしくお願いいたします。

狩野絵師  投稿者: かれちち 投稿日:2003/12/22(Mon) 21:32 No.99

この写真は中伊豆町小川の中伊豆温泉病院の上で撮ったものですが、この
近くに法印坂(法眼坂)があります。(写真が小さい時は 写真の上で
クリックしてください)





Re: 狩野絵師   かれちち - 2003/12/22(Mon) 22:09 No.100

天城湯ヶ島町柿木に1170年ごろ狩野城を築いた狩野茂光の子孫で、
室町時代中期の画家、狩野派の始祖 狩野正信の子、狩野法眼元信
(1476〜1559)は先祖のいた狩野を訪ねた後大見路をめざし
この坂をのぼりつめてふと振り返る時、そこに眺める風景と富士山の
美しい姿に感動して山頂にのぼり、これを画いたという。
蛇行する大見川の流れの先に、遠く近く幾重にもなる峰の向こうに
白雪をいただく富岳の姿は、法眼の心を強く捕らえたことであろう。
法眼坂の地名のおこりはこれから生まれたものという。
資料提供 中伊豆町教育委員会 「大見の史話と歴史」他





Re: 狩野絵師   堀江 - 2003/12/23(Tue) 16:09 No.102   HomePage

ny23.gif  かれちちさん、またまた狩野絵師の書き込みありがとうございます。
 私の調べたところでは絵師狩野として最初に歴史に記憶されるのは、正信の父景信です。
 永享4年(1432)室町6代将軍、足利義教が富士遊覧として駿府に滞在した折、その御前で富士
山を描いたことが記録に残っていると言われます。
 また、景信は、頼朝の側近として活躍した狩野宗茂の養子祐光の系統でもあるとも言われています。
 狩野派は、当町にあった狩野城を拠点に、伊豆を数百年にもわたって支配していた狩野一族の出身で
あり天城湯ケ島は、そのルーツということになります。
 清水市出身の日本画家で、狩野派の研究者としても知られる村松秀太郎氏は、天城湯ケ島町を絵師狩
野派発祥の地と位置づけ、新聞や雑誌等のメデイアに発表しました。
 正信の子、法眼が富士山の美しい姿に感動して描いたということも、k記録にあり、中伊豆には法眼坂という地名もあるようです。
 武家狩野から天才絵師が生まれる土地柄だったのですね。




Re: 狩野絵師   かれちち - 2003/12/23(Tue) 22:32 No.103

1月21日 天城温泉会館で行われた「狩野城」ミレニアムロマン
”狩野絵師発祥の地の歴史を探る”の講演会はなかなか盛大で 特に
村松秀太郎先生のお話は説得力もあり又ユーモアたっぷりで面白かった
です。  またこうゆう催しがあるといいですね。


無題  投稿者: やまもと(古代ファン) 投稿日:2003/11/26(Wed) 17:36 No.81   HomePage
ny23.gif 先日は大変ありがとうございました。
あれから、ギリギリ追われる毎日で御礼が遅れてしましました m(_"_)m

貴重な資料を頂きまして、おかげさまで天城について考古学で分かっていることをイッペンに調べられます! ありがとうございました。
基礎知識の準備ができましたら、あらためて天城に伺います p(゜v゜)q

ところで、最近「竹之内文書の謎を解く」(成甲書房)を出版されました布施泰和氏からも、天城になにかありそうだとメールを頂きました、なんとか手がかりを見つけたいものです。

続けて写真をアップします。




軽野神社   やまもと(古代ファン) - 2003/11/26(Wed) 17:39 No.82   HomePage

軽野神社の写真です。
鳥居が二種類あるのが不思議ですね、、、裏山が円錐形で興味シンシンでした。
祭神は事代主命でしたが、軽野明神、狩野明神ともあります。
加茂氏は、大山祇神や、事代主命を祭りますので、この軽野神社の「ひふみ十三字の護符」の文字が加茂文字だと言う事と合わせますと、事代主命を祭る加茂の一流がこの神社を建てたと考えてみたいです。
さらに、出雲の国から戻って来た事代主命が伊豆七島を開いたことになってますので、船は一番大事だったと思います。
もしその時から、事代主命がここで造船をしていたとなりますと、神功皇后よりズーット昔ということになると思うのですが!
でも、事代主命は、代々襲名していたようですので、決め手はないですけど〜





宝蔵院の「い」の字石   やまもと(古代ファン) - 2003/11/26(Wed) 17:41 No.83   HomePage

宝蔵院の「い」の字石です。
これは、ザンネンながら、古代文字としては読めませんでした (..、)ヾ
正面は「い」の字によめますが、側面や上面の掘り込みはバラバラで、
む〜、、、わからないーです。





昭和の森会館・かたつむり   やまもと(古代ファン) - 2003/11/26(Wed) 17:45 No.84   HomePage

昭和の森会館での「枯野(からぬ)」の写真です。
2枚の説明も写真の合成でなんとかよめました・・・
あと、最後にお邪魔したかたつむりさんの写真を2枚ほど。





Re: 無題   堀江 - 2003/11/26(Wed) 22:45 No.85   HomePage

kanue3.gif  やまもとさん、先日はようこそお越しくださいました。なのに、大したおもてなしも出来ず申し訳ありません。
 町誌編纂資料(1集)としてお渡しした作者の小野先生も、かすかな記憶ですが一度お会いした気がします。
 私なりに諸説を調べていますが、あまりはかどっていません。合併の忙しさに被けているのでしょうか。
 昭和の森、宝蔵院、軽野神社そしてかたつむりさんの写真をたくさんありがとうございました。
 古代文化研究会の松橋さんにも、よろしくお伝えください。古代文化への手がかりが見つかることを祈っています。




Re:無題   松橋俊一 - 2003/11/30(Sun) 07:43 No.86   HomePage

山本さんに続いて御礼申上げます。先般は貴重なお時間を頂き、有難うございました。
山本さんは古代文明がお好きで、特に超古代文明に造詣が深くていらっしゃいます。
私は正反対で、超古代史は全くの音痴です。
そんなわけで、竹内文書やホツマツタエや宮下文書等には、つい否定的になります。
しかし、偽書とされるそれらの文書に挿入されている逸話の類は、あながち創作とは言えません。ですから、研究の余地はあるように思いますが、扱いを間違えると、とんでもないことになりますので注意が必要です、
偽史は、書かれている内容は偽として、この偽史が書かれた年代の世情を知るにはよい材料です。
例えば、竹内文書は昭和3年に「神代文字神霊宝巻」として発表されていますが、古代のことはでたらめでも、この文書で少なからずの人々が皇祖皇太神宮天津教に入信したことでしょうから、そこら辺のことを調べるには大変貴重な資料と思います。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/tondemo/gishi.html
こんな文章をみつけました。
面白いと思いましたが、どうでしょう。
ご活躍をお祈りいたします。




Re: 無題   堀江 - 2003/11/30(Sun) 11:06 No.87   HomePage

kanue3.gif  松橋さん、この間はありがとうございました。
 前に「天津教」で関連事項を検索したら、ずいぶんたくさんヒットしました。
 狩野の古代文字もその中にあり、興味深く読みましたが、「郷土研究」と言いながら、古代・超古代は素人であり
音痴ですので、いろいろな人たちに聞きながら、一つづつ覚えていこうと考えています。
 また、ご指導ください。




小野真一先生!   やまもと(古代ファン) - 2003/12/01(Mon) 16:18 No.88   HomePage

kame_1.gif 頂いた資料の小野真一先生ですが、やはり駿豆考古学会の会長でした! (^-^)”
先生の書かれた「伊豆文化のルーツを探る」と「伊豆武将物語」(どちらも駿遠豆ブックス)を読んだことがあったので、平成14年3月17日に大仁町町民会館で開かれた学会に、参加したことがありました。
その時には「伊豆の古地名と姓氏及び遺跡について」と言う講演をなさっておられましたが、伊豆の名前の由来についても詳しく説明されてまして、大変興味深かったものです。
そのときの写真を、小さめですがアップしま〜す。

ところで、古代文字(神代文字)となりますと、偽書論になってしまうのですね〜
なかなかムツカシイものです。
松橋さんご紹介の近代日本における「偽史」の系譜ですと、この伊豆に関係してくる宮下文書のことが少し書いてありました。

引用です: 『宮下文献』は、秦の徐福が日本に渡ってきて書いたという設定になっているが、『上記』を受け継いだようにウガヤフキアエズ王朝について記録している。また、この文献では、高天原は富士山麓に実在していたことになっている。

これは、竹之内文書のように超古代ではないです。
加茂喜三著の「富士の古代文字」はこの『宮下文献』をもとに実地調査されたものですが、この本で軽野神社の護符が紹介されていました。
いずれにしましても、神代文字となりますと、諸説紛々、となるのですね。
国際学会では、シュメールの古拙文字が日本にもやってきていることが、吉田信啓先生によって認知されていますが、そのこともあまり知られていないようです。

軽野神社の護符についても、もうしばらく様子を見たほうがいいのかもしれません。
まぁ、あと10年もしましたら、結論がでるかもしれないと思いますが・・・いかがでしょうか ('v')/





Re: 無題   松橋俊一 - 2003/12/03(Wed) 05:21 No.90   HomePage

sake.gif 山本さん、先日はお世話になりまして有難うございました。
宮下文献にある富士山麓=高天原説は、興味深くもあります。徐福が不老長寿の妙薬を探すと秦の始皇帝を騙し(?)、数千人の集団で日本にやってきて、王国を築いた地が富士山麓ということですね。そうしますとBC100年頃の話でしょうか。東三河や他の地方にも徐福の墓が沢山あるようですね。徐福が実在したとして(私は半信半疑で、特に否定する論拠も持っていませんが)あっちに行ってもダメ、こっちに行ってもダメで、相当日本中を放浪したのでしょうね。
秦の始皇帝を騙したのだから、亡霊に怯えて、ひとところに定住できなかったのでしょうか。富士の麓にも立ち寄ったかもしれません。そういえば、最近にもそんな白無垢の集団がいましたね。BC100年というと弥生の中期初頭でしょうか。諸外国から色んな部族が流入し、日本の人口が爆発的に増え続けた時期ですね。その何万人かの渡来者のなかの、一集団だったのでしょう。
 ウガヤ王朝については出所が上記と宮下文献ですから、それに年代がまるで可笑しいですから、これは全くの創作でしょう。何処からか仕入れた伝承を、矛盾を創作で取り繕いながらつなぎ合わせて作り上げる。まあ、それなりの苦労はあったでしょうが、目的がお賽銭のかき集めですから、あまり可愛くないとは思います。
 第一、誰かへんてこな集団がやってきて部落を作って、ここが王朝であると威張っても、国なんてものを縄文人が理解できるわけがない。ドングリを拾って蛇や狸を捕まえて食っていれば、殿様や王様や天皇なんか、全然関係がない。権力者ができる最大の要素は、食い物を確保できる力をもっていることです。食い物を求めて、徒党を組んで弱者から略奪するのが、国の始まりです。縄文人は、人から食い物を略奪しなくとも、山に行けば、もっと楽に食い物が確保できました。食い物は、冬になると熊の神様や鹿の神様が、肉や毛皮や薬をもって遊びにやってくるし、夏には太陽の神様が、食べられる草やきのこを育ててくれる。秋には栗や団栗を、置き土産に沢山くれる。渡来者集団が稲を作り始めたときも、彼らは、その生活を守り続けました。しかし渡来人は、オカズがなかった。最初は米と肉との物々交換から、渡来人と縄文人がともに稲作をするようになるまで、僅かな時間でした。それまでは、自分たちの運命を左右するのは、王や天皇ではなく、自然界の友達(神々)だったのです。
だから、縄文時代に王国があったなどという作り話には、噴出す以上に、腹立たしく思ってしまうのです。
上記は山窩の伝承とよく似ているそうですが、どうなのでしょう。
サンカを縄文人の末裔と見るか、渡来人の末裔と見るか、意見はさまざまです。私は以前には縄文人の末裔と思ってきましたが、最近は全く分からなくなってきました。ある人はユダヤ人の血が入っているのでは、といっておりますが、顔つきがそれらしいというのがその根拠です。私は顔を見たわけではありませんし、ユダヤというとそれだけで「アホクサ」と思ってしまいます。
或いは、本当にユダヤ人やシュメール人が渡来した事実があるのかもしれません。しかしそれが縄文時代とすると、遺物が発見されていないのは、渡来規模が自分の文化を保持できない程度の少人数だったと判断できます。或いは、渡来はなかったか。
いずれにしてもユダヤ人やシュメール人を、この時期の問題にとりあげるのは、虎の尻尾をみて、虎はまだらの蛇であると公言するようなものだと思います。まして縄文文化・弥生文化は、ユダヤ・シュメールとは異質な文化です。渡来が無かったとは言いません。しかし、状況証拠も物的証拠もない状態では、日本の古代史上で、ユダヤやシュメールを語ってはいけないこと、と考えます。
いずれにしても、山本さんは古史古文書を証明したい立場ですし、私は偽書であると証明したい側ですから、がんばりたいと思います。
それにしても山本さんの博学には驚かされます。




Re: 無題   堀江 - 2003/12/03(Wed) 06:06 No.92   HomePage

kanue3.gif  山本さんも松橋さんも大変博学で、私は足元にも及びません。
でも、全国の古代ファンのために、この掲示板を使って、古史古文書の肯定の是非を存分にご議論ください。
 なお、松橋さんの2重投稿だった89・91の書き込みは、管理画面で削除させていただきました。




Re: 無題   松橋俊一 - 2003/12/05(Fri) 23:30 No.93   HomePage

sake.gif 堀江さん。私のドジでお手数お掛けしました。
じつは私のPCがクラッシュしました。今、孫に作ってあげたPCから投稿しています。孫(6歳と5歳)はイッチョウマイにPCを使っていますので、なかなか取り上げるわけに行かず、当分私のPCが直るまで、自由に楽しむわけにいきません。
当分ご無沙汰かと思っていますが、マザーの交換くらいで済むとよいのですが、まずCPUのテストからということで、手間は勿論ですが、財布が心配です。
愚痴を零してしまいましたが、そんなわけで少しの間失礼いたします。




Re: 無題   やまもと(古代ファン) - 2003/12/06(Sat) 15:31 No.94   HomePage

高校の日本史の教科書で、縄文時代はたった1ページだったのを覚えてます。
何時も新学期の初めの授業が終わってしまうと、日本史がつまらなくて成績が悪かったです・・・
それからウン十年経った今では、定住していたと考えらるようになってますけど、
その当時、狩猟採集説が正しいか間違っているかとか、証明された事かなのかどうかとか考えたことはないです。
ともかく、縄文時代のことをもっと知りたいと思ってました。

記紀の初めにイザナギ、イザナミの国生み神話がありますけど、
日本列島を作ったというならまだわりやすいですけど、『生んだ』というのは意外な話です。
ここ一万年の間に列島の造山活動があったわけでもなく、
人が山に住んでいたでしょうから海進海退で考えても不自然ですし、
フィクションとしても、それなりの事実背景があるハズですけど、その背景もわからないままです。
ですから、この話は考えれば考えるほど突拍子もない話ですけど、事実だとか神話だとか証明されたとかされないとか決めてかかることはないです。
何れにしても、貴重で面白い情報だと思ってますので、なぜ『生んだ』と言っているのか、やがては謎解きされるのを期待してます。
そんな風にアプローチしていますので、いわゆる古史古伝でも決めてかかることはないです。
事実を少しでも知りたいものだと思って、果てしなく推理を楽しんでいるのです・・・

もともと、古代の色々な情報を集めて推理するのが好きですから、
実地の情報も含めて、色々考えて推理してほんの少しでも前進すると嬉しくて、
でも、そう簡単に正解が出るわけではなく、暇な時に壮大で果てしの無い推理小説を読んでいるようなものだと思ってます。
推理、情報収集、また推理、実地も含めて情報集、また推理の繰り返しを楽しんでいるわけです。
ですから、どの情報が正しくて、どの情報が間違っているとか決めてかかる必要は感じたことがありません。
推理小説でも、色んな証言者が、本当のことを言ってたり、嘘を言ってたりしますけどそれを時間をかけて、一つずつ謎解きして行くのが醍醐味だと思っているわけです。

いわゆる古史古伝についても、初めっから『証拠能力』が無いことは誰もが知っていることで、いまさら証明しようとなどとは考えたこともないです。
僕にとっては、記紀も古史古伝も推理小説の色んな証言者みたいに、本当らしいものあれば嘘っぽいのもあるもので、それを分析推理して行くのが楽しみですから、決して決めてかかることはないです。

でも、証明されなければ、ど〜してもイヤダと言うこともあるのですね〜
松橋さんは、古代史の骨格は既に証明されていると思っているのですね。
それでしたら、いかにも嘘っぽい古史古伝はイヤでしょうがないのが当然だと思います。
そうとは知らず、どうもすいませんでした。
人それぞれ好みがありますから、それに反対する気持ちはゼンゼンないです。
今後は、古史古伝の話はマッタクしないことにいたしましょう。



待望の積載車配備  投稿者: 堀江 投稿日:2003/11/19(Wed) 22:00 No.80   HomePage
ball_boy2.gif  私の住んでいる矢熊地域の守り神、消防可搬ポンプ積載車が配備されました。火災・地震災害があっては困りますが、力強い守護神の登場です。
 積載車の写真は、手前の車両が矢熊に配備となります。



AMAGIの収穫祭  投稿者: 堀江 投稿日:2003/11/16(Sun) 14:51 No.79   HomePage
imo.jpg  本日(16日)新天城ドームで、第6回AMAGIの収穫祭が行われました。



八丁池の紅葉  投稿者: 堀江 投稿日:2003/11/02(Sun) 16:05 No.68   HomePage
ball_boy2.gif  天城の紅葉が始まっています。頂上は盛りを過ぎた感がありますが、山腹の紅葉はこれからです。
 写真は、天城の瞳八丁池周辺です。(クリックすると大きくなります。)





Re: 八丁池の紅葉   堀江 - 2003/11/08(Sat) 12:44 No.74   HomePage

moo017.gif  11月1日には、関係者によるオープニングが行われました。



枯野・狩野・軽野・カヌー  投稿者: 松橋俊一 投稿日:2003/11/01(Sat) 03:37 No.63   HomePage

伊豆がカヌーの生産地であった説、楽しく拝見させていただきました。
私もその通りと思っています。
ところでカヌーができたのは弥生ではなく、もっと何千年も前なんですよ。
沼津でもカヌーが出土していますが、確か縄文中期の時代だったと思います。(今度確認しておきます。)
カヌーは海岸沿いの縄文人にとって生活必需品だったから、実際には10000年以上前からあったと想像しています。でも、根拠はありません。
縄文真脇という遺跡では、イルカを湾内に追い込んで捕獲していましたが、実に6000年前からこの漁が行われていました。勿論カヌーでです。
私が行ったときは残念ながら出土カヌーは見れませんでした。
青森の三内丸山では大陸との貿易の可能性があったということですから、勿論船はありました。当時の出土品に板は出ていませんから、これもカヌーを利用していたと思われます。
カヌーで気になるのはオオクニヌシとスクナヒコの話です。
スクナヒコは縄文人だったのではないか。
ガガイモの船(流線型の小型船=カヌー)。蛾の皮の服(蓑)。無言(言葉が違う)。粟の穂に弾き飛ばされ(栽培にはなじめず、採取に戻って行ったのではないか)。その他、医術に長けていたのは縄文人は動物・植物に詳しく、熊の胃やオットセイの臍の効果等を熟知していた様子がある。その他いろいろで、スクナヒコは縄文人だった説というのを信じているわけです。
カヌーからとんでもない話になりました。
私の趣味範囲は縄文のしかも中期ですので、スクナヒコの話は戯言です。
でも軽野神社へ行ってみたいなぁ。
天城湯ヶ島は弥生遺跡が全く無いでしょう。カサゴ火山噴火でやられちゃったのでしょうね。
今から2700年から3300年(調べる方法で、噴火の時期がこれだけ違うそうです)のすざましい噴火です。
ですから、この地域で記紀に出てくる枯野を作っていたということになると、どんなに甘く見てもAD200年以降の出来事になるんですよ。
ご指摘を楽しみにしています。
またお邪魔させてください。




Re: 枯野・狩野・軽野・カヌー   堀江 - 2003/11/02(Sun) 08:43 No.65   HomePage

kanue3.gif  松橋さん、ありがとうございます。カヌーがそんなに古いとは、またまた知識の浅さを露呈してしまいました。
 縄文人の生活様式についても、改めて考え直さなければいけないことですね。天城湯ヶ島には、弥生遺跡がなく
肝心な枯野についても、焦点がぼけてしまって、なんとなく残念です。
 是非また、いろいろご教示ください。




Re: 枯野・狩野・軽野・カヌー   やまもと(古代ファン) - 2003/11/06(Thu) 16:07 No.70   HomePage

ny23.gif >スクナヒコは縄文人だったのではないか。

これはまったくゴモットモ p(゜v゜)q だと思います
縄文土器の芸術性はすごいと思います、あれほどの精神文化を創った人々が、神話も無い時代の人とは、トウテイ考えられないと思うのですが・・・

>天城湯ヶ島は弥生遺跡が全く無いでしょう。カサゴ火山噴火でやられちゃったのでしょうね。

天城に縄文時代が眠っていると思うと、なんかわくわくします (^m^)
それだけになかなか見つからないと思って、半分諦めていたのですが、
この度、堀江さんに頂いた情報で、またやる気が出てきました!
どうもありがとうございます <(_ _)>

神功皇后より数千年まえの天城に、加茂氏が居るといいのですが・・・さて〜どうなのでしょう・・・




Re: 枯野・狩野・軽野・カヌー   松橋俊一 - 2003/11/08(Sat) 16:31 No.76   HomePage

やまもとさん、お世話になっています。
実は、古代の葛城山から流刑に処せられた「祝」がいた。役の行者である。文武天皇の御代、699年「賀茂」の「役」(=祝=神奴の長)の小角が伊豆へ配流された。小角は葛城の神に仕える「祝」であって、これが「神の流刑」の意味だった。すなわち、祭祀の廃絶である(残念ながら筆者には、なぜ神が土佐で、小角が伊豆なのかは明らかにしかねる)。http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-19.html
古くはないカモですね。
唐突ですが、能登はいきり立った男根で、江戸は広い扇状地で、三戸(水戸=ミト)は水の出っ張り(湾)で、カモは山間の平地という縄文語です。
もしかすると、カモの縄文人も居たかもしれません。天城湯ヶ島や、大仁、沼津から磨消縄文土器(瀬戸内海を中心とする)も出土しています。推理をよろしくお願いします。
ただ蛇足ですが、この辺の縄文人にはシャーマニズムの匂いがしてこないのです。私の愛するアニミズム一辺倒の様子です。
個人的には、邪馬台国あるいは大山祇、事代主につながるものは何もないと思っています。
アメリカ合衆国の国民が、自分たちの先祖をアメリカインディアンに求めるようなものと思っているのですが、数多い私の勘違いであることを祈っております。
では、また。




縄文の伊豆=海洋王国?!   やまもと(古代ファン) - 2003/11/12(Wed) 17:37 No.77   HomePage

ny23.gif 三島大社の事代主命も、大山祇神も加茂の本流と考えますと、
役の小角は加茂族の故郷、加茂の国(伊豆)に来たということにもなるのでしょう。
流されたというか、(先祖の)実家に戻されたようなものかもしれませんね (^m^)?
ところで、伊豆の葛城山が先で、伊豆から出た加茂族がヤマトに住んだときに、その山の名前を持って行ったと考えれば、三島大社の説(加茂は伊豆が元)になるのでしょう。

神功皇后が熱海に船を発注したと言う話を聞いたばかりなのですけど、
熱海の伊豆山神社と役の小角の結びつきが強いのが、気になり初めてます・・・
三島大社、天城に加えて、伊豆山神社も加茂の拠点なのでしょうか、それでしたら、まさに伊豆は加茂の国です。

>磨消縄文土器(瀬戸内海を中心とする)も出土しています。推理をよろしくお願いします。

瀬戸内海の大三島と伊豆の三島大社との関係の、縄文版のようなことがあるのでしょうか!
ともかく、素晴らしいですね (^◇^)ノ
縄文の伊豆が、海洋王国である可能性が高まってくると思います。
磨消縄文土器と加茂族の分布が考証できれば説得力がありますし、それに、複雑な加茂族の新しい見解が生まれるかもしれません。
とくに天城湯ヶ島・大仁の出土は、ゼヒ詳細な研究を期待してます!!!
アニミズムの話も、手がかりの一つになるのかもしれないですね。

ちなみに、紀元前1000年頃のソロモン王(イスラエル)が、大木のレバノン杉を輸入してますが、
古代ほど、大木があって、大航海船を簡単に作ることが出来たという話がありました。
大木が使われて次第に無くなってしまい、大洋航海が難しくなってきたということです。
もし、縄文時代の天城の木=神代杉に、巨大な木があれば、縄文の伊豆が海洋王国だった可能性が高まります。
昭和の森会館などで調べてみたいです・・・

それでは近々お伺いいたします _(_^_)_


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